平安京遷都の理由はタタリが原因?

 

 

なくよ(794年)うぐいす平安京」学生の時に語呂合わせで覚えた年号ですね(笑)。

この平安京は京都に作られました。

碁盤の目で町づくりが行われ、その名残は今も京都に残っています。

平安京遷都とは?

 

遷都とは、いわゆる首都を移動することです。

東京から大阪に首都が変わる感じです。
簡単には遷都できませんよね。

 

奈良にあった平城京から、長岡京(京都府長岡市)へ遷都したのが784年。

 

それからわずか10年後には平安京に遷都しています。

 

コレには深~い事情があるのですがご存じですか?

平安京遷都の理由はタタリが原因?

 

長岡京に遷都した翌年、永相賀京造営式の藤原種継が暗殺されます。

 

この暗殺計画を事前に知っていたとして早良親王は淡路島に流されます

 

兄である桓武天皇が、弟である早良親王ではなく、自分の子どもに天皇を継がせたいため、無実の罪を着せたのではというウワサがあります。

 

早良親王は、それ以来、食べ物を一切拒否し、淡路島に流される途中に亡くなります

 

それから3年後、側近の藤原種継夫人・旅子が死亡

 

そして同年3年間続く農作物の大不作が起こります。

 

翌年、皇太子夫人の高野新笠が薨去

 

悪いことは続くもので、さらにその翌年皇后が崩御

 

そして豪雨で桂川が氾濫大洪水にみまわれます。

 

さすがにここまでくると早良親王の祟りと天皇も恐れ、淡路島で早良親王の霊をなぐさめました。

 

そして平安京(現京都市内)に遷都したのです。

 

この時代は祟りといった今では、迷信とされているものも深く信じられていたのですね。

 

 

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