265年間続いた江戸時代が長く続いた背景には、いろいろな仕掛けがあったのをご存じですか?
徳川家康が江戸に幕府を作り、265年という長い時代を守り上げた仕掛けが実はあったのです。
江戸は鬼門から守護された大都市の設計の仕掛けについてまとめました。
江戸時代が265年続いた仕掛け人は?
その仕掛けをプロデュースしたのが密教系天台宗の僧「天海僧正」といわれています。
天海僧正は「黒衣の宰相(こくえのさいしょう)」とも呼ばれ、僧でありながら主君を補佐し、政治に関与していました。
ちなみに徳川家康が幕府をどこに開くか相談したときに「江戸にしましょう!」と進言したのが天海僧正だといわれています。
風水的な要素をふんだんに取り入れた江戸の町を設計したのも天海僧正といわれ、江戸幕府に深く関わっています。
家康亡き後、静岡県の久能山東照宮に祀っていた遺体を日光東照宮に改葬し、天海僧正の「江戸幕府を長く続くものにする」呪い的要素が完成するのです。
では、そのミステリーを紐解いていきましょう。
まず最初に遺体が安置された「久能山東照宮」。
ここで注目すべきなのは、家康生誕の地・岡崎と家康の母・於大の方が子授け祈願に参拝した鳳来寺山、久能山東照宮が一直線に並ぶということです。
ちなみに久能山東照宮の奥社(宝塔)は、死者が向かう方向といわれる西を向いています。
家康が生まれた岡崎から見ると、久能山東照宮は東の方向に位置し、人間として生まれた家康が、神の誕生の方向といわれる東に安置されることで、神になるという意味があるようです。
次に久能山東照宮の遺体を日光東照宮に改葬する意味について探っていきましょう。
久能山東照宮と富士山を結んだ直線のその先に日光東照宮があります。
久能山東照宮で神となった家康が、不死の山である富士山を越えて、本物の神になるという設計図が垣間見えてきます。
視点を変えて、江戸(東京)と日光を結ぶ直線の先には北極星があります。
北極星は宇宙の中心にあり、すべての星が北極星を中心に回っているという考え方があり、ここにも江戸を中心として世が回っていく・・・という設計図があるのではないでしょうか。
ちなみに江戸と日光を結ぶ線は真北から6度左へ傾けた直線で、北辰の道と呼ばれます。
北辰の道は、神仏だけが通る道といわれているのも、また秘密めいています。
江戸と日光東照宮は宇宙ともリンクした壮大な設計図で造られていることがわかります。
この設計図を作った天海僧正は、本能寺の変の黒幕である明智光秀なのではという都市伝説があったり、130歳くらいまで生きていたという話もある非常に謎めいた人です。
天海僧正は日光東照宮の建立後、江戸城から鬼門の方向に「東叡山寛永寺」を建立しています。
平安京の鬼門にあり、平安京を守った比叡山のように江戸を守るためだったのでしょう。
東叡山は現在の東京・上野にあります。
上野といえば、不忍池。
ここは天海僧正が比叡山の東にある琵琶湖に見立てたところで、竹生島になぞらえた中島を作りました。
竹生島の宝厳寺は日本三大弁天といわれる弁天様を祀っていますので、中島にも弁天堂があります!
東叡山寛永寺は後に徳川家の祈願寺、そして菩提寺になっていきます。
二重、三重と江戸幕府を守る仕掛けがあった中で、日光東照宮に家康が祀られたというのは、とても大きな意味があったのですね。
この仕掛けがバランス良く動く事で、今の東京も繁栄してるのかもしれません。
今日のことだま

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ものごとの繁栄には、仕掛けがある
