最初の武家政権となる鎌倉幕府。
「いいくに(1192年)作ろう鎌倉幕府」として、歴史の時間に覚えましたよね!
源頼朝が征夷大将軍となってできたのが鎌倉幕府です。
源頼朝が大逆転できた裏には陰陽師が
頼朝は、源義朝の三男として生まれました。
父・義朝が平治の乱で敗れ、伊豆に流されます。
それは20年にも及び、平氏より劣っていたのは明らかです。
でも天下取りを諦めきれなかった頼朝は、占筮(せんざい)の達人といわれた佐伯昌長という陰陽師に、出陣の「吉」の日を占ってもらいます。
さらに「天誅地府祭」という最高レベルの霊的守護を得る儀式を行ってもらったのです。
この儀式は、歴代の天皇が一代に限り行うことを許されているという、普通の人はお目にかかれないものすごい儀式だったのです。
源頼朝は禁を犯して決行しました。
ここから源頼朝の大逆転人生が始まります。
劣勢だった頼朝は富士川の戦いに圧勝。
東国に一大勢力を築きます。
そして西に勢力を伸ばし、神戸の一ノ谷の戦いでも圧勝します。
さらに屋島の戦いにも勝利し、ついには壇ノ浦の戦いにて、平家を滅亡させたのです。
鎌倉幕府のその後は
が伊豆に流された時には、誰も予想しなかった流れになったのは、陰陽師に祈祷してもらったからでしょう。
2代目将軍頼家の代になると、外祖父時政により伊豆に幽閉されます。
頼家の弟・源実朝が3代目将軍に就きますが、北条氏、外祖父時政らにより暗殺されたともいわれています。
せっかく天下をとったものの、禁を犯してまでの祈願祈祷には、やはりどこかでひずみが起きてくるものです。
結局、天下太平は長続きすることなく、まして、子が辛い人生を歩むことになるとは頼朝は考えていなかったのでしょう。
源頼朝はジェットコースターのような人生でした。
「人を呪わば穴二つ」といいますが、この穴は、一つは呪われた人を入れる墓、もう一つは呪った本人を入れる墓なのです。
天に向かって吐いたつばが自分に降りかかってくるように呪いも自分に返ってくるのですね。
頼朝の祈願祈祷は呪いではありませんが、禁を犯してまでの祈願祈祷はある意味、呪いと同じ作用があるのかもしれませんね。