聖徳太子といえば、「十七条の憲法」。
教科書でやりましたよね~
懐かしいなぁ・・・
聖徳太子には謎がたくさんあります。
聖徳太子にまつわる謎
例えば・・・
10人の話しを一度に聞けたとか、馬に乗って空を飛び、富士山に登ったとか、生まれてすぐに言葉を発したとか、幼少の頃はすでに国内外の学問を究めていたとか・・・
ありえないような話しがたくさん!
事実関係はわかりませんが、それほど聖徳太子が尊い人物だったことがうかがえます。
十七条の憲法にかけられた魔法とは
そんな聖徳太子が、十七条の憲法に様々な魔法をかけています。
まず、発布は604年。この年は甲子(きのえね)の年に当たります。
甲子の年は「天の掟があらたまる年」。
十七条の憲法が世に根付く年に計画的に発布したといわれています。
ではなぜ「十七」なのか?
ひとつ目の説。
中国の「管子」によると
「天界(陽)の道理は九をもって統制する
地上(陰)の道理は八をもって統制する」
とあります。
「天界(陽)の道理は九をもって統制する
地上(陰)の道理は八をもって統制する」
とあります。
憲法の条文の九条までが命令形、残りの八条は禁止形で書かれているのです。
これは決して偶然ではありません。
そしてもう一つの説。
「春秋偉書」によると
「陽の極数は九、陰の極数は八」
「陽の極数は九、陰の極数は八」
とされています。
この九と八を足して十七になります。
どちらの説も陰陽五行説に基づいており、天才である聖徳太子がかけた魔法なのです。
だからこそ世に根付き、歴史に名をのこす憲法となったのですね。